戦後同市に多数造られた緑豊かな米軍住宅からは週末になるとアメリカ人の好むバーベキューの芳ばしい匂いが漂ってきた。冷戦終了後米軍は撤退、米軍住宅は旧ユーゴ難民キャンプに転用され、緑陰にハンモックのかかる庭園付の優雅なAmerican way of lifeを難民達に提供した。同市の山続きの東方、フランクフルトの摩天楼を遠望するKönigstein im Taunus市の旧ロスチャイルド(独名ロートシルト=赤盾)別邸(現・ホテルVilla Rothschild Kempinski
)には戦後一時期Bizone(英米軍占領区域)の経済評議会や西独揺籃期の議会や首相府が入居した事があり、またフランクフルトを西独の暫定首都とする案もあった(結局ボンになったが)等、旧ソ連赤軍の強大な戦車部隊の砲列から遠く離れたこのヘッセン州南西端は地政学的に戦後史との関わり浅からぬ一帯でもあった。
鉄道史的にはアイルランドのListowell and Ballybunnion Railwayの開業年でもあるが、そのラルティーグLartigue式>という主レール1本+補助レール2本のA字型断面の軌道をモノ(=単)レールに分類するとすれば、これは世界初の営業用モノレールだった(補助レール無しのものでは第4話で紹介したWuppertalの1901年開業が最古)。色々な軌道技術が試行錯誤された黎明期だったと言える。日本鉄道史では山陽鉄道(現・山陽本線、当初は兵庫・明石間のみ)や、箱根登山鉄道の前身・小田原馬車鉄道の開業年にあたる。
ネロ山鉄道・麓駅二題。風雅な駅舎と乗物が、風雅な町に良く似合う。
電力を用いない鋼索鉄道(ケーブルカー)の事を、ドイツでは(水を錘(おもり)代わりに使うので)水錘鉄道Wasserballastbahn又は水重式鋼索鉄道Wassergewichtsseilbahnという。日本では「水力式鉄道」と訳される場合があるが、水力発電のように水「流」のエネルギーを取り出すのではなく、静止した水の「重力」そのものを動力源とするので、「水力式」ではポイントを外している。仮に「水重式鉄道」と訳しておこう。Wikipediaによると、最古の水重式鉄道はナイアガラの滝近くに敷設された眺望公園傾斜鉄道Prospect Park Incline Railway (1845〜1908年)だったという。現在も残る最古の水重式鉄道は ブラガBraga(ポルトガル)のElevador do Bom Jesus(1882年〜)だ。この6年後の1888年BにヴィースバーデンのこのNerobergbahn(直訳すれば「黒山鉄道」)が開業し、今ではドイツ唯一の水重式鉄道となった。
この辺りから西は見事にフランス語圏となる。同じ国の中の僅かな移動で急に言葉が変わるのは、一駅で東北弁から沖縄弁に変わるような不思議な感覚だ。ドイツ語名はフライブルグFreiburg(自由の砦)だが、そう遠くない独バーデン=ヴュルテンベルク州にも同名の町があり、後者はFreiburg im Breisgau(Freiburg i. Brg.と略記)と呼んで区別する。こちらは車社会のドイツにあって環境首都と称される位、公共交通の整備で有名で、機会があれば取り上げたい。
公衆の面前で強烈な糞尿の臭いをかがされた戸惑いが、すっかり忘れていた昔の記憶を蘇らせた。初の電車特急・151系こだま登場〜東海道新幹線開通前夜の日本は、名画「ALWAYS三丁目の夕日」が描き出したように社会全体が活力に溢れていた。更に五輪や万博招致に成功し高度成長を謳歌した頃の日本は、当時洟垂れ小僧だった世代が追憶というセピア色のレンズを通して振り返ると、限りなく懐かしい。反面冷めた目で見れば、実態はかなり背伸びした高度成長で、経済成長を優先する余り民生の質Quality of lifeF は後回しにされた為に公害は多発、電車はすし詰め、水洗便所の普及率も極めて低い、かなり背伸びした高度成長でもあかった。あの映画でノスタルジーのツボを刺激された方(かく言う筆者も涙腺だだ漏れの不覚をとった)は、1960年代の日本の未舗装の埃っぽい道を悪臭を撒きながら走っていたバキュームカー(屎尿収集車を指した和製英語)を覚えておられるだろう。当時気の毒な職場の代表のように見なされていて、彼らがいるからこそ(汲取式)便所が使えるのだから決して臭そうな顔をしてはいけない、と親に厳しく指導されたものだ。フニの運転手の前で、まだ分別がつくかつかぬかのブルネットの小さな子供が鼻を刺す臭いに耐えて健気に平静を装っているのを見て、ふと遠い昔を思い出した。