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2.極北の輝きの下で I
− 最北の鉄路を行く旧TEEのスター達 −
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1962年、 ドイツ連邦鉄道(当時)* の花形列車・汎欧州急行TEEのそのまた看板列車であった ラインゴルト
Rheingold 号 <列車名の由来>に編成中1輌だけ連結されていたドーム車が存在した。これはアメリカの大陸横断列車の展望車を参考にしながらも、大陸欧州の風味も持たせた実に味わい深い車輌だった。即ち、車両を3分し中間部分を側面から天井まで総ガラス張りのハイデッカー構造とし、一方の端は6人用1等コンパートメントが3室、他方の端はビュッフェとなっている。子供心には「雲の上」のような特別車輌であり、いつか乗りたいと思っていたが、希望が叶わぬまま帰国後幾霜月、鉄道雑誌でドーム車はDBを除籍となり外国に売られた、という記事を読んで廃車を免れたことを喜びつつも、これで乗車の機会は無くなったな、と静かに雑誌を閉じたものだった。 |
*ドイツ連邦鉄道:略称DB。東独DDRの「吸収合併」に伴い1994年旧DDRのドイツ帝国鉄道Deutsche Reichsbahn(略称DR)と一体化し、ドイツ鉄道株式会社Deutsche
Bahn AGとなったが、略称はDBのままである。
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それから更に長い時が流れ、かつてTEEドーム車に憧れた頃と同年齢の息子を持つ歳になり、ドーム車の記憶は忘却の彼方にあった。ところがドイツ勤務となり、当地の鉄道雑誌でかつてのドーム車が今もスウェーデンで活躍しており、しかも引退時期が迫っているとの記事を偶々目にした瞬間、脳の奥深いどこかで30年の封印が解けた。早速調べてみるとスウェーデン国鉄SJ (エスイェと読むらしい) が不採算路線を上下分離方式で民営化し、Tågkompaniet* という私鉄がストックホルムと北極圏を結ぶ長距離列車を運行し、その一部にドーム車が連結されている事がわかった。フランクフルト・ストックホルムの正味飛行時間は1時間強に過ぎない。子供の頃の夢を実現するチャンスが、今、手の届くところにある。 |
*Tågkompaniet:
トーッコンパニエットと読むのが近いか
www.tagkompaniet.se |
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一人で鉄道を追い回しに行くには顰蹙ものの日数になるので、キルナ Kiruna 近郊の アイスホテル* やノールヴィック
Narvik (ノルウェー領) のフィヨルドスキー等の「非鉄系」イベントをかき集めるように取って付けた旅程を急遽組んで、ストックホルム行のSAS機に家族を押し込むように乗り込んだ。この際、希望の客車に必ず乗れるようHISフランクフルト支店の皆様にご尽力いただいたのでこの場を借りてお礼申し上げたい。
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*アイスホテル:
www.icehotel.com |
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ストックホルムの市内から40キロ程離れたアーランダ空港は欧州では市内からかなり遠い部類に属する。到着口すぐ脇の「市内方面アーランダ・エクスプレス乗場行」というエレベーターで降り、ドアが開いてから驚いた。エレベーターはホーム中央に直結しており、しかも文字通り目の前が電車のドアだ。土産物売場の並ぶ通路を必ず歩かされる構造の駅舎や空港を見慣れた目には、この徹底した利用者本位のコンセプトは眩しかった。切符は多少の手数料を払えば車内でも買え、しかもカードが使えるので外国からの客は 両替* せずに飛び乗ることができる。10−15分間隔・最高時速200キロで20分でストックホルム中央駅に滑り込む。しかも荷物の多い航空旅客の事を考え、今度は電車のど真前に段差無しでタクシーが並んでおり、徹底した乗客本位の哲学が誰の目に見える形で実践されている。この為距離が半分の羽田⇔都心間よりも近い感覚だ。しかも、もし2分 (!) 超の遅延があればその理由の如何を問わず全乗客に無料乗車券を渡す到着時間保証
travel-time guarantee 制度まであり、定時運行がとりわけ重要な空港シャトル列車としてのプロ意識も見上げたものだ。 |
*両替:
スウェーデンはEU加盟国であるがEURO(ユーロ)は未導入なのでドイツからでも両替の必要がある。 |
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車輌は両開き2ドアクロスシート・デッキなし・大型荷物置場付、と必要にして十分、運賃もシャトルバスの2倍程度だったと記憶している(HP* によると脱稿日現在大人片道
SEK200 )。シートにリクライニング機構が無かったのがやや残念だったが、所詮20分、中央線快速でいえば東京⇔中野の時間距離なので文句を言うレベルでは無い。
ニャースのような猫顔をしたアーランダ急行 (後継モデルは三白眼の悪相になった) は写欲をそそらなかったので、代わりに大学町ウップサーラ行急行を推進する汎用機Rc型の端正な後姿を挿入する。 |
*ホームページ www.arlandaexpress.com |
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私の知る空港シャトル列車の中で視覚的にも最も快適な車内を提供してくれるのは南海ラピートだ。ラピートこと南海50000系は鉄人28号のような異相ばかりが注目されているような印象を受けるが、オーヴァルフォームで一貫した前衛デザインと木のぬくもりとを調和させた客室意匠は素晴らしい。名前に反して鈍足だが、狭軌鉄道である事を忘れさせる空間の演出は見事だ。安価なうえ30分に1本の頻度で頑張っているが、関西の消費行動の特性故か空気を運んでいるに近い列車もあり気の毒になる。 |
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だが、乗客の動線全体にわたってシステム全体として利用し易いかどうかが特に厳しく問われる空港シャトルとしては、所要時間・運転頻度 (私の感覚では空港シャトルには毎時3本程度の頻度が欲しい) ・動線の長短等も考え併せると、総合得点はアーランダ・エクスプレスには及ばない。 |
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では、わが大東京の空港シャトル列車はどうか。私はこの当時は年平均8回日本に出張するマイレージ長者だったので年平均16回NEXの世話になった計算になるが、このNEXには一言無かるべからず。「東京行」の飛行機に乗り地球上最大の大陸を横断してやっと東京に辿り着いたと思ったらそこは東京から遠く離れた千葉の草深い田んぼの中、改めて「東京行」の特急NEXでの長旅が待っている。これ自体はJR東の責任では無いが、ターゲット客が長距離客で疲労困憊しているのにまだ先は長いという事情は当然知っている筈だ。 |
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首都の空港シャトルが1時間1本とは…
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この特急というのが曲者で、@都心までの所要時間の絶対的長さ(1時間) A日系キャリアがドイツから着く時間帯は1時間 (!) も間隔が空く (つまり都心まで最悪2時間という事だ。何なのだこれは。) B特急と特急の間に設定される快速も後発の特急に必ず抜かれるよう次の特急の少し前に出発し結局1時間後の特急を待たざるを得ない露骨な特急誘導ダイヤ
C遅い (最高時速僅か130キロ、それも一部区間のみ) D高い
E時間帯によっては立ち客も出る輸送能力不足 F疲れて寝込んでいても車内販売の売り子が鐘を鳴らして起こしに来るコマーシャリズム(そのまま会議に出なければならない勤め人の事を考えているのか?) G運行障害発生時でも並行する京成の空港シャトル・スカイライナーは予約 (ある訳が無い) が無いと乗車できず、飛行機の出発時間が迫る中を東京駅地下5階ホームから日暮里まで荷物を抱えて移動したうえ足の遅い通勤特急に乗らざるを得ない仕組みになっており、時間が特に重要な空港シャトルとしての使命が振替輸送制度に反映されていない等、まだまだあるが、空港シャトルシステムとしてはお粗末過ぎる。 |
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上記 Aについては総武快速線のダイヤが満杯で仕方ない側面もあるのだろうが、これとて千葉・成田間はスカスカなのだから千葉止まりの快速を空港まで延ばさない理由にはならない。湘南新宿ラインの大増発の割を食って減便された横須賀・総武快速線用車両が1編成余剰になって車両基地で遊んでいるともいう (後湘南色に塗り替え転出)。特急料金の売上を確保したいのはわかるが、鉄道は公共財でもある事をプロとして、そして市場を寡占する企業として、まず認識して欲しい。
国内線乗換の常識外れの不便さも考え併せれば、乗客の目線で抜本的に解決する為には成田⇔東京⇔羽田間をリニアでそれぞれ15分・10分位で結ぶか、それができなければ成田空港は貨物空港と自衛隊基地にでも特化して旅客は国際線・国内線共に羽田に集中するか、どちらかしか無いと思う。「成田を東アジアのハブ空港に」という主張があるようだが、
このお寒い利便性と突出した高額の着陸料 (当然利用者に跳ね返る) を考えれば、ブラックジョークにしか聞こえない。 |
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思い出したらつい腹の中から怨嗟系の数百語が煮え上がってきて筆が止まらなくなったが、ドーム車の話だった。SJ自慢の超高速列車
X2000等が出入りするストックホルム中央駅の4番線に Tågkompaniet 社の
Luleå ルーレオ行き寝台列車が入線してきた。牽引機はSJの標準機Rc型のSJマークが消され Tågkompaniet 社のポップなロゴに塗り替えられたものだった。 |
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Rc型機の話が出たついでに話は少し米国東海岸に寄道する。20世紀末も押し詰まった2000年12月、ボストン⇔ニューヨーク⇔ワシントンを結ぶ北東回廊の急行が仏
TGV (A) の技術を導入した Acela
Express* (@)に置き換えられたが、それまではスウェーデンのRc型 (B) のAmtrak色のライセンス機(C)が客車急行を牽いていた。瑞Rcは米国やオーストリアでもライセンス生産された寒冷地の名機とされた。上の写真は右から
@ A B C の順で整列させた、現実には見られない2組の欧米の従兄弟同士の集合写真だ。 |
*Acela Express
ホームページ
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こうして見ると @ の造形は A よりかなりずんぐりしており、むしろ
A の後継機 TGV Duplex 用機関車(上の写真中央)がベースになっている事がわかる。 |
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上の模型は NATO 軍の創立50周年記念塗装の
AWACS 機だ。この NATO* (北大西洋条約機構 North
Atlantic Treaty Organization) に象徴されるように北大西洋の両岸の結び付きの強さはあらゆる局面に現れている。鉄道も例外ではなく、米国北東回廊線の高速化の為Amtrakが実車を借り出して米国で比較テストを行った高速車両の出身地は仏 (TGV-A) ・瑞
(X2000) ・独 (ICE1*) と、全て欧州勢だったし、また13号・14号でもご紹介するように、鉄道版
NATO (北大西洋の鉄道市場寡占 North
Atlantic Train-market Oligopoly) とでも揶揄したくなる程、米国の高速列車は欧州一色だ。 |
*NATO
*ICE 1 |
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北欧の薫り漂う躯体を星条旗色に塗り、アメリカ人好みにライトを賑やかに取り付け、屋根上には古き佳き西部のカウキャッチャー付蒸機を連想させるベルを付けてカラン・・カラン・・とならしながら駅に進入する様子は、欧米文化の融合を見るようで味わい深い。上の写真はワシントン近郊でボストン行メトロライナーを牽く米国でのライセンス機、下はルーレオ付近を行くスウェーデンのオリジナル機Rcの両兄弟機を、それぞれ機関車直後のデッキから同じアングルで俯瞰したものだ。 |
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話をスウェーデンに戻す。いかつい元SJの寝台車の放列のほぼ中央に「それ」はあった。赤とクリームのTEE色から塗り替えられてこそいるが、それはまさしくドイツの往年のトップスター級花形客車だった。 |
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大陸欧州の標準軌客車は日本や英国のサイズから見ると充分巨大だが、スカンジナビアの客車は更に大きくいかついので、この凸凹編成は荒くれ男共にがっちりガードされた細身の美女 (姥桜だが) のように見える。予約した寝室に荷物を放り込むのももどかしく「美女」のところに馳せ参じたが、朝6時にサロンカーとして開放するまでは閉鎖という。夜中も開放すると、満天の星屑を眺めながら特等席で寝ようという輩が座席車から民族移動して来るのだろう。朝来てみたら寝乱れた高鼾の学生達に占領されているという有様では一般客は朝食も取る気にもなれないだろう、と頭では理解し、30年越しの恋の成就を目前におあずけを喰った気分でとぼとぼと自室に戻った。 |
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